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組合員活動
 鶏卵(赤玉) 
(市島町養鶏組合)
鳥インフルエンザの影響を受けて

 「鶏は毎日、元気に卵を産んでくれます。その卵を集めて焼却場へ持って行き、処分しなければならない。こんなつらい思いをするなら廃業しよう、と家族で話していました。」2004年の生協祭りあいたくて都市生活のオープニングで細見さんはこのように挨拶をなさいました。「でも組合員の皆さんの手紙や『待っています。』の一言が、もう一度がんばろう、という気を起こさせてくれました」

鶏卵生産者の細見さん
衛生的そして快適な鶏舎は細見さんの自慢です

 2004年2月、京都府で鳥インフルエンザが発生し、細見農場が移動制限措置区域に入るというニュースが突然飛び込んできました。それから移動制限が解除されるまでの約1ヶ月間、細見さんの精神的なご苦労は想像を超えるものでした。このことは、都市生活の歴史の中でつらく悲しい出来事の一つです。しかし、これが細見さんと生協の結びつきをより深いものにしたのも事実です。
移動制限解除の翌日の4月2日、組合員3名と職員1名の合計4名で細見農場を訪問し、「激励メッセージ」と「お見舞いカンパ」を手渡し、多くの組合員の思いをお伝えしたことは、まだ、記憶に鮮やかに残っている方も多いのではないでしょうか?
ともに育つ「もみじ」たまご
 生活クラブ都市生活の前身、西宮共同購入会の時に北阿萬農協との間で卵の取り扱いはスタートしました。その後、生活クラブ都市生活となり、組合員の拡大で北阿萬の卵だけでは対応できなくなったため「鶏・卵チーム」を結成し、生産者探しが始まりました。当時は、鶏肉も産卵後の廃鶏だけでしたので、ブロイラー探しも同時進行で行いました。このときの選定基準は、

●病気に強い鶏種
●飼料や飼い方、薬剤が透明である
●「顔の見える」関係であり、話し合って
 いける。交流できる生産者である。


 この結果鶏肉はシガチキンファーム、鶏卵は細見農場に決まりました。

 そして、いよいよ、1993年5月、10Kg、5Kgのダンボールケース入りで卵の救急はスタートしました。当時は白鶏と赤鶏の両方を飼育していたため、切り替えが完了するまでの数ヶ月は一部に白卵も混じっていました。

1998年には遺伝子組み換え作物が問題となった時、生産者の中で真っ先に飼料のコーンに対応したのが細見さんでした。日ごろから配合飼料でなく単体で仕入れて自家配合しているため、早い対応ができました。
 2001年7月には組合員の念願であった卵の少量化が実現し10個パックが登場しました。そして「連合会きらり」が誕生し、2005年3月には北阿萬農協の合併に伴い、(淡路島の)養鶏場は閉鎖されました。この後、細見さんのご紹介で近藤さんの卵の取り扱いも始まり、市島養鶏組合として出荷されるようになりました。

 「細見さんの卵」は「きらりもみじ卵」と名前が変りましたが、組合員のお勧めの一品に必ず挙がる消費材であるということは変っていません。きっとこれからも変ることなく、組合員の大切な「材」そして「財」であり続けることでしょう。
<機関紙「都市生活」2006年8月21日発行 第148号から転載>
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