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組合員活動
 青梅をはじめとする農産物・加工品 
(奈良県:王隠堂農園)
西宮共同購入会からのおつきあいが今も

 南北朝時代の内乱の折、奈良県吉野に逃れた後醍醐天皇をかくまった「王を隠した堂」が王隠堂さんです。屋号ではなく苗字なんですよ。訪問する組合員は口をそろえて「夢のようなお宅で」と言います。「現場を見てもらって、肌で感じ、お互いの関係を大事にして利用が広がる」と仰います。「梅干は王隠堂さんのでなければ!」という熱心な組合員もこのように自分の目で見て、話をしてたくさん生まれました。

十津川村のしそ畑画像
2000年であい塾 in 十津川 シソ畑で

 もとは慣行栽培で農業を継いだ王隠堂さんですが、和歌山市出身の作家、有吉佐和子の「複合汚染」が話題になり(1974年連載)脱農薬の路線を模索する王隠堂さんは地域での仲間作りに動き出します。仲間がふえて複数の生産者で取り組むと、どうしても品質にばらつきがでてしまいます。これを解決するために、昭和59年に有機農業の農家を組織化、これが現在の王隠堂農園です。生産物の出荷に留まらず、梅干、オフシーズンの冷凍野菜、など加工品に取り組めるようになったのは、組織化が功を奏した形です。有機、無農薬で生産した農産物を余すことなく利用するためにも加工品は外せません。

王隠堂ファンクラブ

 組合員と生産者が直接連絡を取り合って自分たちのやりたいことを企画実行する集まりであるファンクラブ、特に王隠堂ファンクラブはこの3年、頻繁に行き来しています。畑に伺っては記念の植樹をしたりお料理を教えてもらったり。昨年は奥様の裕子さんに西宮まで来ていただきました。
王隠堂さんが思うのは、国内の農業生産者をいかに増やすかということ。2004年3月7日に植樹をしたのは、植樹をしたのは子供の代までお付き合いが続きますようにとの思いからです。

職員の思い出
「新鮮な青梅を受け取りに行った」


 1983年、まだ西宮共同購入会だった頃です。それまで梅干の取り扱いはありましたが、鮮度が要求される「青梅」を供給するために職員が受け取りに行くことになりました。配達が終わった夕方に出発してもまだ高速道路が整備されていない頃、日の長い6月といえど奈良に着くと真っ暗でした。 帰りの暗い山道を運転するのはトラック運転暦2ヶ月の私、高速道路運転もこのとき初めてでした。梅を満載して雨の降る中(梅雨とはよくいったものでした)、内心はらはらの数時間、西宮に到着した時はグッタリでした。

ハウスで梅を見学画像
2000年であい塾 in 十津川
ハウスの中で見事に並ぶ梅を見学


震災の時もいち早く駆けつけてくださり、「なにかと大変だろうから、自由に使って」と乗ってきたワンボックスカーを置いて帰られました。道路網がずたずたで、納品もままならない日々が続きましたが、この車は大活躍でした。職員のうちでは「王隠堂号」と呼んでいました。あの車がなければ、当時の物流は成り立たなかったと思います(きらり企画開発 綾田)

台風カンパ義援金のお届け画像
1998年の台風7号の被害にカンパを募り
王隠堂さんにも義援金をお届けしました。
<機関紙「都市生活」2006年5月22日発行 第145号から転載>
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